J1昇格へ「決定的に足りなかった」勝者のメンタリティは、どこにあったか。
岩政大樹が振り返るファジアーノでの2年間と昇格プレーオフ
■攻勢の流れで生まれた「失点」
一方で問題もありました。僕たちは、準決勝にはなかった小さな隙を相手に何度も与えていました。小さな隙は外から見ていては分からないほど些細なことです。しかし、僕は準決勝でチームが見せたものとは確実に違うものをこの試合で感じていました。
後半に入ると最初に攻勢に出たのは僕たちでした。流れを感じた僕たちは先制点を狙いました。決定的チャンスとはいかないまでも、何度か相手のゴール前まで進入できました。
失点はそんな攻勢の流れの中で起きました。
ほんの少しの隙からでした。何気ないスローインからコーナーキックに持ち込まれ、最後はこぼれ球を押し込まれました。
失点シーンをどうこういうつもりはありません。サッカーとはそのシーンだけを切り取っては語れません。
勝負を分けたのは、自分たちの良い時間帯に相手に隙を与えてしまったことでした。悪い時間帯に見せた隙には辛うじて耐えられていたものが、良い時間帯には耐えられませんでした。
逆にセレッソは、その後も全くと言って良いほど隙を見せてくれませんでした。失点後、僕たちは少しの勝機も見出すことができませんでした。
試合が終わって思い出したのは自分たちの日常でした。
勝負所と呼ばれる試合で勝負を分けるのはいつも隙です。その隙は、その時に突然顔を覗かせるものではなく、自分たちの日常に落ちている隙です。
全てはやはり日常に答えがありました。岡山での2年間では僕がやり切れなかったのだと思いました。
今から2年前。僕の岡山での旅が始まりました。
「クラブに勝者のDNAを植え付けてほしい」
そのために僕を指名して呼んでいただきました。
1年目のシーズンでは、出だしこそまずまずのスタートを切ったものの、徐々に勢いを失い、夏前には一つ勝つこともままならない状況が続きました。
半年間、チームに溶け込むことを優先していた僕は、チームに「熱」や「厳しさ」を持ち込むことに動き出しました。時にはチームの雰囲気を壊すようなこともしました。
目的は一人一人に自覚と責任を持たせることでした。僕はファジアーノの選手たちが、どこか自分の「色」を出すことをためらっているように感じていました。怖れ、とも言えるかもしれません。真面目な選手が多く、言われたことはしっかりとやろうとする選手たちでしたが、そこから一歩先に進んで、自分の判断と自分の責任でチームのためにより良いと思うことにトライしようとする姿勢が欠けていました。